2009年2月13日金曜日

深刻な「平等主義」!?

鳥取の小学校は「学級委員長」なし 「なれない子供が傷つくから」?
2月12日19時25分配信 J-CASTニュース


 鳥取県の公立小学校には「学級委員長」がいない。リーダーを決めれば差別につながる、との抗議を人権団体などから受け自粛した結果なのだそうだ。しかし、2009年春から鳥取市で1校だけ20年ぶりに「学級委員長」が復活する。市の教育委員会が2、3年前から子供達の社会性、自主性を育てるために復活を呼び掛けてきた成果らしいが、後に続く学校が現れるかはわからないという。

■徒競走もコースを変え、同時にゴールする

 鳥取県の公立小学校が「学級委員長」を無くしたのは、人権団体などから「委員長になれなかった子供が傷つく」「自分にはできないと劣等感が生まれる」などの抗議があり、自粛が全県に広がったためだという。図書委員、保健委員といった担当者はいるが、これらの委員は全て横並びの関係にしている。また、「差別」の観点から、運動会の徒競走でも全員が同時にゴールできるように、走るのが遅い子供に対しては、コースをショートカット(近道)したり、スタートラインを他の生徒より前にしたりする学校もあるのだそうだ。





これに近い 平等主義は

クリスチャンの 間でも

よく 議論される



でも 聖書には

おのおのその能力に応じて、
ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、
もうひとりには一タラントを渡される。
Mat25:15

タラントとは タレントの語源

その人が 与えられた

才能や賜物 のこと



人と比べて どうかではない

自分に 与えられた

タラントに 忠実に生きているかどうかが

問われている



5タラントの人は 5タラントらしく

1タラントの人は それを最大限に

それが 美しい




平等主義は 本当に平等か?

その根底は 歪んだねたみがあるのでは?



以前読んだ 新聞コラムにこうあった



「ねたみ」とは

人が持っているものを 羨むこと

同時に 人が持たないことを 喜ぶこと

後者のほうが たちが悪い… 




格差社会は 深刻な問題だが

歪んだ平等主義は さらに深刻か